VERY BOOKS ~ 本棚の「本」たち

古代史、進化論、量子力学、宇宙、スモールビジネスモデル、日本語の成り立ち等、 興味分野を本棚の「本」たちと語ります。

寒山拾得(かんざんじっとく)

65歳になったが、今だに初めての単語に出会う。
昨年、出会ったのが「寒山拾得(かんざんじっとく)」。

ふとチャンネルを合わせたNHKの番組で、横尾忠則が「寒山拾得」ならぬ「寒山百得」の展覧会を、東京国立博物館で開催するという。
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2598

寒山拾得」とは、中国,唐の伝説上の2人の詩人で、拾得は国清寺の修行僧、寒山はその近くの洞窟に住み、拾得が食事係であったので残飯をもらい受けていた。ともに世俗を超越した奇行が多く、また多くの詩を作ったらしい。横尾忠則は展覧会の為に、その2人の絵を100余り描いた。100余りなので「寒山百得」とか。

その翌日にもまた「寒山拾得」に出会った。
ポスターを見かけ立ち寄った長沢芦雪の展覧会(@中之島美術館)で、展示物の一つが「寒山拾得」の絵であった。
https://nakka-art.jp/exhibition-post/rosetsu-2023/

今年になって、島根県足立美術館を訪れたのだが、そこでは横山大観の「寒山拾得」の図も展示されていた。1か月の間に3回も出会うこととなった。
古来、寒山拾得は画の対象として沢山と描かれていたらしい。

4回目もあった、本屋でタイトルが気になり『死後を生きる生き方』横尾忠則著を購入した。
その中の一節で、彼が1年かけて「寒山拾得」100点を描き上げたこと、「寒山拾得」は生と死を超えた存在であること、生き方にスタイルが無く多義的であること、自分自身と感じていることなどを述べていた。


『死後を生きる生き方』集英社新書 (著)横尾忠則


こういう状態(あるキーワードが押し寄せてくる状態)になると、いつも行うことがある。
松岡正剛の千夜千冊でそのキーワードを語っているのではないかと、検索するのだ。
ああ、やっぱりあった。いつも先回りしている。
https://1000ya.isis.ne.jp/1557.html

松岡正剛は、白隠(江戸時代の禅僧)が彼らが書いたという詩を「空劫(くうごう)以前も空劫以後も、唯だ此の一襦にして足ることを示している」と絶賛していると、紹介している。松岡も同じ気持ちなのだろう。
空劫以前とは、禅学では「父母未生以前」あるいは「本来面目」を言いい、おやじやおふくろから生まれる以前からの自分であり、それこそ本来の面目(めんぼく)のことという。
私も「父母未生以前に於ける、本来の面目如何?」という禅問答に3か月ほど格闘した時期があった。

この禅問答は、生きている自分自身が、本来の面目そのものということと理解したのだが、「寒山拾得」とどのようにつながるのか。横尾忠則が「寒山拾得」には死を内在した生の振る舞いを感じるという。この年になってくると死と生の境界線がますますとあやふやになってきている。アナログ的な波動であり、かつ、デジタル的な粒子であり、また生と死を同時に内在する量子ビットのように。