VERY BOOKS ~ 本棚の「本」たち

古代史、進化論、量子力学、宇宙、スモールビジネスモデル、日本語の成り立ち等、 興味分野を本棚の「本」たちと語ります。

寒山拾得(かんざんじっとく)

65歳になったが、今だに初めての単語に出会う。
昨年、出会ったのが「寒山拾得(かんざんじっとく)」。

ふとチャンネルを合わせたNHKの番組で、横尾忠則が「寒山拾得」ならぬ「寒山百得」の展覧会を、東京国立博物館で開催するという。
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2598

寒山拾得」とは、中国,唐の伝説上の2人の詩人で、拾得は国清寺の修行僧、寒山はその近くの洞窟に住み、拾得が食事係であったので残飯をもらい受けていた。ともに世俗を超越した奇行が多く、また多くの詩を作ったらしい。横尾忠則は展覧会の為に、その2人の絵を100余り描いた。100余りなので「寒山百得」とか。

その翌日にもまた「寒山拾得」に出会った。
ポスターを見かけ立ち寄った長沢芦雪の展覧会(@中之島美術館)で、展示物の一つが「寒山拾得」の絵であった。
https://nakka-art.jp/exhibition-post/rosetsu-2023/

今年になって、島根県足立美術館を訪れたのだが、そこでは横山大観の「寒山拾得」の図も展示されていた。1か月の間に3回も出会うこととなった。
古来、寒山拾得は画の対象として沢山と描かれていたらしい。

4回目もあった、本屋でタイトルが気になり『死後を生きる生き方』横尾忠則著を購入した。
その中の一節で、彼が1年かけて「寒山拾得」100点を描き上げたこと、「寒山拾得」は生と死を超えた存在であること、生き方にスタイルが無く多義的であること、自分自身と感じていることなどを述べていた。


『死後を生きる生き方』集英社新書 (著)横尾忠則


こういう状態(あるキーワードが押し寄せてくる状態)になると、いつも行うことがある。
松岡正剛の千夜千冊でそのキーワードを語っているのではないかと、検索するのだ。
ああ、やっぱりあった。いつも先回りしている。
https://1000ya.isis.ne.jp/1557.html

松岡正剛は、白隠(江戸時代の禅僧)が彼らが書いたという詩を「空劫(くうごう)以前も空劫以後も、唯だ此の一襦にして足ることを示している」と絶賛していると、紹介している。松岡も同じ気持ちなのだろう。
空劫以前とは、禅学では「父母未生以前」あるいは「本来面目」を言いい、おやじやおふくろから生まれる以前からの自分であり、それこそ本来の面目(めんぼく)のことという。
私も「父母未生以前に於ける、本来の面目如何?」という禅問答に3か月ほど格闘した時期があった。

この禅問答は、生きている自分自身が、本来の面目そのものということと理解したのだが、「寒山拾得」とどのようにつながるのか。横尾忠則が「寒山拾得」には死を内在した生の振る舞いを感じるという。この年になってくると死と生の境界線がますますとあやふやになってきている。アナログ的な波動であり、かつ、デジタル的な粒子であり、また生と死を同時に内在する量子ビットのように。

古代史実施踏査レポートその1(讃岐・阿波)

友人2人と古代史実地踏査ツアーを、毎年続けている。

今回は4月21日~23日、讃岐・阿波へのツアーである。

このプライベートツアーは、2013年から始まるのだが、
弥生時代古墳時代の神社・遺跡・古墳を巡ることで、古代日本の成り立ちを体感、妄想しようというものである。
これまで纏向・葛城・日向・高千穂・熊野・出雲・丹後・吉備・埼玉・北部九州と巡ってきたが、今年で11回目。

今までに比べて、讃岐・阿波は少しばかりマイナーな感じもしたのだが、私的には大きな発見があった。

その一つが、萩原2号墓(徳島県鳴門市)。

弥生時代終末期(3世紀前葉)の墓で、墳丘径が約21Mと小さいのだが、いわゆる「ホタテ貝」の形をしており、纏向(奈良県)のホケノ山古墳(後円部径55M)や纏向石塚古墳(後円部径64M)のいわゆる「纏向型前方後円墳」の原型とも言われるらしい。
ホケノ山古墳は、第一回のツアーで実地踏査している。

ホケノ山古墳(2013年6月16日、実地踏査)

 

てっきり、前方後円墳の発祥の地は纏向とばかり思いこんでいた私にとっては、驚きである。そして、教科書もあった「纏向は全国各地から人々が集まった連合都市国家」のフレーズと響き合い、当時を思い浮かべるための重要なピースを得た気持ちになった。

 

ちなみに、纏向が全国各地から人々が集まった連合都市国家であることは、纏向から出土した土器を分類・整理した結果から言われている。
纏向で出土する土器の多くが外来系土器で、しかも東海、北陸・山陰、河内、吉備、近江、関東系、播磨、西部瀬戸内海、紀伊など多岐にわたるからである。

纏向型前方後円墳が造られる3世紀前半に対応する纏向2式(暦年は210年~250年と比定(石野博信))では15%が外来系土器が占めている。
この時期の外来系土器の中に播磨からのものが含まれるが、「播磨・讃岐・阿波」と読み替えても差し支えないだろう。
まさに萩原2号墓を造っていた集団が纏向に移動し連合国家の一員となり、纏向型前方後円墳の造営にも一役買っていたと考えてもおかしくはない。

このことを思い浮かべた瞬間、少しばかりマイナーと感じる讃岐・阿波の実地踏査は、当時のメジャーどころ纏向ひいてはヤマト王権誕生の様子を思い描くことができる実地踏査となった。

今後の実地踏査で、他の外来系土器の他の出身地を巡るのも興味深い。

 

同様に、中央(ヤマト)と地方(讃岐・阿波)が響き合う事例をもう1つ。

讃岐・阿波ではその後、讃岐型と呼ばれる小型(全長40M未満)の前方後円墳が山稜部に盛んに造られる。
ところが、4世紀中頃から5世紀に入ると、墳丘長が100M級の古墳が比較的平地に造られる。
四国3大古墳と呼ばれる、快天山古墳(香川県、墳丘長98.8M、4C中頃)、渋野丸山古墳(徳島県、墳丘長105M、5C前半)、富田茶臼山古墳香川県、墳丘長139M、5C前半)などである。
そして、これ以降、従来の小型の前方後円墳はパタリと造られなくなる。
この時期、ヤマトでは百舌鳥・古市古墳群が造営され、古墳時代の最盛期(4世紀後半から5世紀後半)となるのだが、河内勢力が従来の大和勢力に替わって政権中枢を掌握した(河内王朝説)とも言われている。
当方、河内王朝を論じる見識は持たないが、この時期に、ヤマトの地と讃岐・阿波それぞれに権力の入れ替わりがあり、なんらかの形で連動していたのだろう。



ヤマト王権の成立過程を想像するには、地方の実地踏査が重要なことを身をもって体験したツアーであった。

 

(参考)

古代史実地踏査チーフプランナー 小嶋浩毅氏の報告レポート

古代史旅のレポート(讃岐・阿波編)① - 古代日本国成立の物語 (goo.ne.jp)

 

(参考図書)

ヤマト王権の古代学』坂靖

倭国の古代学』坂靖

 

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量子たちの不思議な振る舞い(3)~『時間は存在しない』

『時間は存在しない』著:カルロ・ロヴェッリ を、通しで読んだ。

センセーショナルなタイトルと、さわやかなブルーの装丁で、随分前に買っていたものだ。


著者は物理学者で、ループ量子重力理論における第一人者である。

この理論は、一般相対性理論量子力学を矛盾なく説明する理論として、超ひも理論と並び注目されている。

ループ量子重力理論の理解など恐れ多いが、彼が考えている時間の雰囲気を少しでも感じてみたいと思い、読み進んだ。


この本の原題は『L'ordine del tempo』であり、日本語版のタイトル『時間は存在しない』は、かなりの意訳である。

著者が言うには、彼がよって立つ量子重力の基本方程式(ホイーラー=ドウィット方程式)では、この世界の出来事の原理を「時間変数」を含むことなく説明している。

すなわち「時間変数」は存在しないと言っている。しかしながら、それらの出来事の結果として認識される「時間」の存在は認めている。「時間」が存在しないとは言っていない。

どうも、タイトルでのインパクトを狙いすぎて、本の内容を分かりにくくさせているようだ。


一方、原題を直訳すると『時間の順序』となるが、この直訳でも本書の内容を的確に表しているとは言えない。

『時間には順序が無い』というくらいが内容の理解の為には適当だろう。


誤解を恐れながらも、本の趣旨をまとめてみる。


「時間の流れは、山では速く、低地では遅い」という、アインシュタイン相対性理論の紹介から始まる。直感では理解しづらい事実だが、実験で何度も確認され、GPSの技術でも実際に応用されている。アインシュタインは精密な時計ができて時間の流れの差を計れるようになる前に、時間が至る所で一様に経過するわけでないことを理解していたわけだ。


このように時間は相対的であると判明したが、最新物理学ではさらに、過去から現在そして未来へと一方向に流れるいわゆる「時間の矢」さえも確実でないと言う。


量子重力の基本方程式(ホイーラー=ドウィット方程式)では、ニュートン力学相対性理論を包含するかたちで、量子たちの振る舞いの相互作用(出来事)の原理を表すのだが、そこには「時間変数」を含んでいない。

「時間」は量子たちの振る舞いの相互作用(出来事)の結果としての2次的なものとして位置づけられる。そうである以上、「時間」もやはり量子的な性質を持つことになる。


量子的な性質とは、物理的変数が粒状である「粒状性」、ゆらぎや重ね合わせにより不確定である「不確定性」、ほかとの関係に依存する「関係性」である。

この世界を構成する量子たちは、重ね合わせにより不確定(例えば、量子のスピンの向きは上でもあり下でもあり、確率的な表現しかできない)であり、それは他との関係においてのみ確定する。であるならば、それら量子の振る舞いの相互作用(出来事)からのみ定義される「時間」もそうならざるを得ない。

時間は「過去」「現在」「未来」の重ね合わせであり、そしてもはや、連続的なものではなく粒状となり、カンガルーのようにぴょんひょんと一つの値から別の値へと飛んでいる。

その最小単位はプランク時間と呼ばれ、10のマイナス44乗秒(1秒の1億分の10の億分の1の10億分の1の10の億分の1の10億分の1)と、厳密に算出されている。


以上ようにミクロの世界では「過去」「現在」「未来」という順序は無く、いわゆる対称性を持つ関係である。

一方、マクロの世界でみると「過去」から「現在」そして「未来」へと時間は一定方向にしか流れないと感じる。


その大きな理由として著者があげるのが、私たちがエントロピー増大の法則にしたがう世界に生きていること。
 
これは、熱は熱い物質から冷たい物質にしか移らず、決して逆は生じないという法則である。

もう少し幅広く言い換えると、物事は放っておくと乱雑・無秩序・複雑な方向に向かい、自発的に元に戻ることはないということ。

熱力学第一法則である「エネルギー不変の原則」に対して、熱力学第二法則ともいう。


エントロピー増大の法則については、学生の頃読んだブルーバックスマックスウェルの悪魔』での都筑卓司氏の解説が秀逸であった。

都筑氏の文章は比喩が上手で、30ページに満たないプロローグを読んだだけで、核心部分を理解したつもりになれる。

都築氏は他にもブルーバックシリーズで相対性理論や不確定原理など、最先端の科学を分かり易く解説している。

私は、この本で「エントロピー」という言葉にはじめて出会い、物理学としての用語であるとともに、情報学の用語でもあること、そして社会問題に対する言葉としても使うことができることを知った。

昭和48年(1973年)当時、「人口増加、産業の発達、消費欲の激増は必然であり、これを後退させることは大気中に真空部分のできるのを待つと同じほど、あてのない期待である。」

と述べられている。確かにその通り、その後、インターネットの出現、グローバル化の進展、地球温暖化の進展など世界はますます均一化が進み、社会的エントロピーは増大の一途である。る。


マックスウェルの悪魔とは、1867年頃、クスウェルが提唱した次のような思考実験である。
 もし仮に気体分子の動きを観察できる架空の存在(悪魔)がいたとすると、分子を観測しながらドアのドアの開け閉め(素早い分子は右から左、遅い分子は左から右に通す)だけで

 容器の中の気体温度差(左が熱くなる)を作りだすことができる。これは熱力学第二法則で禁じられたエントロピーの減少が可能になるのではないか、というもの。

 詳細は以下、参照

 マクスウェルの悪魔 - Wikipedia


話をもどそう。カルロ・ロヴェッリは、最終章で、このような時間に対して、「記憶。そして、郷愁。わたしたちは、来ないかもしれない未来を切望する。このようにして開かれた空き地~記憶と期待によって開かれた空き地~が時間なのだ」と、哀愁を込めて訴えている。


一方、このように量子的性質を持つ「時間」のイメージから、私が思い浮かべたのは、道元正法眼蔵 現成公案の一文であった。

道元は鎌倉新仏教の一つである曹洞宗の開祖であり、その思想を自ら記したのが『正法眼蔵』、その第一巻が『現成公案』である。

この一文は、私の東京単身赴任の期間中15年間にわたり通った広尾の坐禅会おいて唱読していた一文でもあり、いわば体の一部になっている。


-----------------------------------------------------
たきぎは はひとなる

さらにかえりて たきぎとなるべきにあらず

しかあるを

灰はのち 薪はさきと 見取すべからず

しるべし 薪は薪の法位に住して

さきあり のちあり

前後ありといへども 前後際断せり

灰は灰の法位にありて

のちあり さきあり

------------------------------------------------------

以下が現代語訳である。

------------------------------------------------------
薪は燃えて灰となるが、もう一度元に戻って薪になるわけはない。

エントロピー増大の法則からもそのように言える。:佐々木 注)

ところがわれわれは、灰は薪が燃えたのちの姿、薪は灰が燃える前の姿と見るが、とんでもない誤りである。

薪は薪としてのあり方において、先がありのちがある。

前後があるといっても、その前後は断ち切られていて、あるのは現在ばかりである。

灰は灰としてのあり方において、のちがあり先がある。


『【新版】正法眼蔵ひろさちや・編訳 から転載

------------------------------------------------------

「前後際断」という言葉は、時間は連続的でなく非連続であることを一言で言い表している。「過去」「現在」「未来」の関係を量子的に捉えている。

前と後ろの際(きわ)を断ち、瞬間瞬間、いま・ここをしっかり生きるという、非連続の思考である。

カルロ・ロヴェッリが言う、「記憶。そして、郷愁。わたしたちは、来ないかもしれない未来を切望する。このようにして開かれた空き地~記憶と期待によって開かれた空き地~が時間なのだ」という、空き地の中での一瞬一瞬を「前後際断」で生きることが、禅が教える最高の人生訓なのである。

 

禅の言葉が難しいと感じる方には、ホリエモン近畿大学卒業式でのスピーチが分かり易い。

「未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きろ」。何度聞いても、感動的なスピーチである。

https://www.youtube.com/watch?v=2DTyHAHaNMw

                              (以上)

 

「時間」を考える上での、お勧めの図書

『神の方程式』ミチオ・カク

カルロ・ロヴェッリがループ量子重力理論の第一人者なら、ミチオ・カクは超ひも理論の第一人者。『時間は存在しない』とほぼ時を同じくして、一般向けの啓蒙者として出版された。読まずにはいられない。

 

『モモ』ミヒャエル・エンデ

町の至るこころに「きみの生活を豊かにするためにーーー時間を節約しよう」のポスターが。ほぼほぼ、現代の日本社会においてホワイトカラーの生産性が向上しない理由のように思えた。

 

『ゾウの時間 ネズミの時間』本川達雄

心臓がドキン・ドキンと打つ間隔を時計の針と捉えると、人とゾウ、ネズミそれぞれが異なる時間で生活をしているのだと、「時間」の相対性が直観的に理解できる。ちなみに体重と時間(心臓の鼓動の間隔)の相関関係を調べると、それぞれの時間は体重の4分の1乗に比例するという。

生命科学的思考』高橋祥子

「ぼーっ」と過ごすと「時間」はアッと言う間に過ぎ去る。一所懸命、あることに集中して過ごしても「時間」はアッと言う間だ。一体、どちらがアッと言う間なんだろうという私の疑問に答えてくれた1冊。

 

『【新版】正法眼蔵ひろさちや

仏教の解説本は、ひろさちや氏のが一番わかりやすい。数多くの著書の印税や講演の謝金を無造作に自宅に保管していたため、2000年には億単位の盗難にあったりした。

 

『禅と経営』飯塚保人

「前後際断」を含む『正法眼蔵 現成公案』の禅語を、経営者のために分かり易く解説。

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量子たちの不思議な振る舞い(2)~『量子力学で生命の謎を解く』

量子力学で生命の謎を解く』ジム・アル=カリーリ、ジョンジョー・マクファデン(著)を読み始めた。

たまたま、TEDにて著者のジム・アル=カリーリのプレゼンテーションを聞いたのがきっかけだ。「量子生物学」という新しい分野のプレゼンテーションであった。
量子力学を使って現在まで未解明の生命現象の謎を解き明かすのだという。
https://digitalcast.jp/v/23104/

 

彼が同じテーマで書いたのがこの本である。

君の名は。』の監督である新海誠が次のような帯文を書いている。

=================================
生物と無生物を分かつ
「魂」の正体は「量子の生気」か!?
命の秘密に迫る、
とてつもなくスリリングな一冊だ。
=================================

確かに、スリリングなテーマだ。ワクワクしながら読み進めた。


量子力学1920年代半ばに、きわめて小さい世界(いわゆるミクロの世界)、つまり、身の回りのあらゆるものを形作っている原子の振る舞いやその原子を形づくっているさらに微小な粒子の性質を説明するための数学理論として編み出された。

 

そこでの量子の振る舞いのいくつかは、実に奇妙で直観的には信じがたいものであるが、理論だけでなく、実験でも証明されており、既に私たちの生活にも深くかかわっているという。本書のはしがきでは、まずは、量子の奇妙な特徴とそれがどのように私たちの生活にかかわっているかを紹介している。

 

最初の奇妙な特徴は、「量子は波動と粒子の二重性」である。
前号で紹介した『鏡の中の物理学』は、「素粒子は粒子であるか」「光子の裁判」でその特徴を記述している。
この特徴は電子顕微鏡に応用されている。従来の光学顕微鏡の原理となる可視光の波長では捉えられない微細な部分を電子に伴う波長ににより観察する。電子が波動のような性質を持っているという発見から生まれている。
そう、この3年間その映像を見なかった日がなかったコロナウイルスの映像も量子力学の成果なのである。

 

2つめは、「量子トンネル効果」。粒子は古典物理学上はすり抜けれないエネルギー障壁を一定の率ですり抜けるというものである。
太陽の中で行われている核融合では、正の電荷を持つ二個の水素原子核が融合するが、正の電荷うしの反発の中融合できるのは、「量子トンネル効果」によるものだという。

江崎玲於奈博士がノーベル賞を受賞したテーマであるトンネルダイオードも、まさにこの現象を利用している。産業の米と言われる半導体量子力学なくして設計、製造はできない。

 

3つめは、粒子が同時に二通り、あるいは百通りや百万通りの振る舞いをする「重ね合わせ」と呼ばれる現象である。
比喩的だが粒子のスピン(回転)は上向きのものと下向きのものがあるとすると、量子の世界の粒子は同時に両方のスピン状態を持っているという。
観測したときにはじめてどちらかが決まる。身近な応用例としては磁気共鳴イメージング(MRI)である。MRI装置は、強力な大型磁石を使って、患者の体内に存在する水素原子の原子核のスピンを軸を整列させる。次にそれらの原子に電波のパルスを当て、
整列した原子核が同時に二つの方向でスピンしているという奇妙な量子状態を作る。この重ね合わせ状態になったこれらの原子核がもとの状態に戻るときに放出されるエネルギーがMRI装置の電子回路で検出され、内臓の詳細な画像が作られているらしい。

 

最後は、量子力学の中で最も奇妙で不気味な現象と言われる量子もつれである。
例えば、原子どうしの結合は電子のペア(スピンの向きは逆同士)を共有することで作られるが、その電子ペアを切り離してお互いにどれだけ遠くに引き離されても、
(本書での比喩表現では)片方の粒子にいわば何かちょっかいを出すと、遠く離れた相棒が瞬時に飛び上がるという。このような粒子どうしの関係を、「量子もつれ」という。
本書では後段に記述がある「量子コンピュータ」がその応用例である。グーグルやIBMがその開発を凌ぎ合っている。
前述の「重ね合わせ」とともにどのように応用されているかは、以下、IBMが公表しているホームページでの説明に詳しい。

「高速化の鍵は量子の「もつれ」や「重ね合わせ」ーー 量子コンピューターの原理を知る」
https://www.ibm.com/blogs/think/jp-ja/ibmq-principle-of-quantum-computer/


さて、ここまで書いてきたことは、「第一章 はしがき」の、しかも半分にしか過ぎない。著者は、これらの量子力学の原理をもって、これまで未解明の生命現象の謎を解き明かしていくのだ。これからが本論である。


どのような生命現象を解き明かしているのだろうか。以下、挙げてみる。

酵素は全ての細胞の中で、いわゆる生命力というものに最も近いが、その作用には量子トンネル効果が関係している。

・ヨーロッパコマドリをはじめとする渡り鳥は、地球の磁気を感じ取って進むべき方向を判断しているのだが、このきわめて微弱な磁気をどのように感じ取っているのか。

クマノミ(「二モ」)は、卵から孵ると外洋の海流に流され何キロ先にも行くにもかかわらず、成魚になって産まれたサンゴ礁に戻ってくるのは何故か。

・進化を促す重要な要素である突然変異に、量子トンネル効果がかかわっているのではないか。

・微生物や植物の光合成系は、太陽エネルギーの光子をどのように廃熱させずに反応中心に運んでいるか。

ロジャー・ペンローズがいう通り、非計算的なプロセスを実行できる人間の心は、量子力学でしか得られない何か特別なもの(量子コンピュータ)が作用しているのか。

・死はもしかしたら、生命体が秩序だった量子の世界との結びつきを断ち切られ、熱力学のランダムな力に対抗するパワーを失うことかもしれない。

・量子生物学を利用して新たな生命技術を作り出すことはできるか?

 

全367ページを読み切るのはまだまだ先のようである。

 

しかし、量子力学がこれまでの常識を覆す強烈な飛躍感を持つことが実感できる。まるで産業革命やインターネット革命のよう。日本は量子立国を国家戦略とすべきだよなー、とつくづく思う。湯川秀樹朝永振一郎江崎玲於奈という先人を輩出していることに加え、「心」や「意識」までも包含しているなら、なおさらである。

 

新しい気づきを得られた都度、記事をアップしていきたい。

 

関連する(と勝手に思っている)図書

 

 

 

 

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量子たちの奇妙な振る舞い(1)~『鏡の中の物理学』

『鏡の中の物理学』朝永振一郎(著)を読んだ。


AI(人口知能)に関するセミナーの2次会の場で、講師であるN先生と某理科系大学出身のKさんとの会話で量子コンピュータの話となった。当方、文系だが「量子の奇妙な振る舞い」は最近のマイブームなので耳をそばだてた。「観測して値を決めながら順番にロジックを進めるのでなく、観測しないで値を決めずにロジックを進めるから超高速なのですね」なんて問答を聞くと、分かったような分からないような。

Kさんに文系でもわかる量子力学の入門書を尋ねるとこの本であった。Yさん自身もかつて指導教員から、この本を勧められたらしい。

「鏡」に関していうと、幼少のときには義姉の三面鏡を覗いては、無限に自分の姿が繰り返されるのを見るのが好きだった。
その後、江戸川乱歩の『鏡地獄』~レンズ好きの男が究極の多面鏡の中に入る話~では、妙な納得感を持ったりした。

また、マーチン・ガードナーの『自然界における左と右』の冒頭の設問「鏡を見ると左右逆に見えるのだが、何故上下逆に見えないのか」については、今もその解答を考え続けている(※1)。

「物理学」では、学校でニュートン物理学を習いインプットの値(速度や力)がわかればアウトプットの値(数秒後の状態)が正確にわかることを知った。
そこで疑問を持った。それじゃ、そのインプットの値はその前のインプットの値が決まった時から決まっている。その前も、そしてまたその前も。
この実験をする私の頭の中や、その日の天気も、同伴する人たちの行動もその前から決まっている。
それじゃあ、これからの全ての未来が既に決まってしまっているのではないか!?という、かなり深刻な疑問である。


その後、ブルーバックス不確定性原理都筑卓司(著)を読んで、量子(光や電子のような極小の物質の単位)の世界になると、今の状態やその後の振る舞いは、確率的にしかわからないということを知った。だったら、人生いたるところにサイコロ(※2)を振るチャンスがあるのだろうと安心した。
しかしながら、「測定できないから確率的にしかわからない」のか、「そもそもの量子の振る舞いが本質的に確率的なもの」なのか、未だに漠然としており一抹の不安は残っている。私的には後者であることを祈っている。

 

このように、「鏡」と「物理学」は自らの興味に隣接しているのもかかわらず、『鏡の中の物理学』は発刊後46年もの間、その存在を知らなかった。
しかも、その著者は当時日本人で3人だけのノーベル賞受賞の朝永先生なのにである。
思い返してみても、理科の先生からファラデーの『ロウソクの科学』を勧められた記憶はあるが、『鏡の中の物理学』については皆無だ。


いろいろと想い巡らせながら、100ページ余りの文庫本を読み始めた。
平易な言葉を使っての解説ではあるが、簡単には読み進めない。
金縛りにあったかのようである。何度目かの挑戦時に、気づいた。
これは46年前の天才物理学者と、現代の凡人(しかも文系)の時空を超えた対話であるのだと。
そこは、朝永先生が学んだ先人たちニュートンアインシュタインディラック、ハイゼンベルグ等)の研究、そしてその当時から今日までの量子物理学研究成果をもインクルードした(包み込んだ)「場」であったのだ。

 

誤解を恐れながらも、そこでの内容を紹介する。

 

前半の「鏡の中の物理学」では、物理学者(朝永先生ご自身を含む)における「物理法則は、空間・時間に対して『対称性』を持つはずである」という信念の話。
この信念を証明し続けることが物理学者の矜持であることを、ニュートン力学、熱力学・エントロピーの法則、リーとヤンの「パリティ対称性の破れ」実験とその解釈、そして最後には特殊相対性理論までを繰り出し、一気に説明している。「エントロピー」とか「パリティ」とかの専門用語は使わずに。

 

後半の「素粒子は粒子であるか」「光子の裁判」では、2重スリット実験における奇妙な量子の振る舞いを、丁寧に説明している。
これは、2つの窓がある壁に向かって放たれた光子(光の粒子)は、あたかも波であるかのように2つの窓を通り抜け、その背後のスクリーンに干渉縞を作る。
干渉縞ができることが、光は波として2つの窓を同時に通り抜けた証拠。
しかし、この窓の前に観測機を設置し、一個一個の光子を観測するとそれはどちらかの窓を通る。しかもスクリーンには干渉縞を作らなくなる。ここでは光は粒子であるという証拠となる。

 

このようにあまりに奇妙な量子の振る舞いを、朝永先生自身が検事になりその理不尽さを裁判官(読者)に訴える。しかしその後は弁護士になり実証事件を通じて、被告である波乃光子が、「不可分の一個体でありながら、2つの窓をいっしょに通り抜けることもありえる」ことを訴えている。
まるで、禅問答である。

当時、どれだけの人たちが読んだのだろう。そして理解できたのだろう。
読んだ学校の先生も理解したとしても、どのように生徒に説明したらいいかも分からない。
確かに、当時生徒に推薦できる本ではなかっただろう。


奇しくも今年(2022年)10月、「量子情報科学」の先駆者として3人の学者がノーベル物理学賞を受賞している。
これは、光子の裁判以上に奇妙な量子の振る舞いである「量子もつれ」現象を実験により証明したという功績。

 

量子もつれ」とは、いったん二つの粒子に量子もつれの関係ができると、どんなに遠く引き離されても片方の粒子の状態が変化すると、それに応じてもう一方の粒子も瞬時に変化するという現象である。

「うん!?」。

前述の「光子裁判」以上に、奇妙でな現象でほとんど心霊現象だ。アインシュタインも「不気味な遠隔作用」と言って、信じなかったらしい。
しかしながら、受賞した3人のうちの1人ツァイリンガー博士の実験では、この原理を使い、ある粒子の状態を離れた場所にある別の粒子に瞬間的に移す「量子テレポーテーション」の実験に成功しているというのだ。また、この現象は、量子コンピュータに実際に応用されているらしい。

これを受けてのマスコミの反応や、話題を振った友人達の反応を思い返すと、妙な既視感を感じる。
1965年に朝永先生がノーベル物理学賞を受賞した時や、46年前に『鏡の中の物理学』を出した時も、同じ空気感だったのではないか。
いや逆かな。『鏡の中の物理学』の時代から現在を視た既視感だ。

「なんだかすごいが、私には無関係」
「理論と現実は違うだろう」
「理論の話であり、実用化されてこその科学だよね」
「目の前のことしか信じられない」
「興味ない世界」

これほど科学技術が進歩し、また、インターネットの普及で情報の障壁が無くなっているにも関わらず、「量子力学」に関しては、その最先端で分かってきたことが世の中一般に認知されていないように感じる。
46年前とまるで状況が変わっていない。
朝永先生が現状を見ると、「なんや、変わってないなー。今度は量子もつれ裁判の本でも書こうか」と思うのではないか。


私自身は、凡人・文系人間であるが、量子力学」には人類の常識を覆し新たな方向に向かわせる無限の可能性を感じている。
一方、この分野を研究する一部の(超)天才たちと、我々凡人の距離が遠ざかりすぎたようにも思う。
その両者をインタープリターする組織や、人材ももほとんど見当たらない。
この分野があまりに難解(数学者でも顔をしかめる独自な数式が頻出するらしい。。)で、その示す結果もあまりに奇妙であることがその原因と推察する。

 

勇気をもってこの両者を丁寧に橋渡しするテレビ番組(特にNHK)や、科学ジャーナリスト・評論家の出現、活躍を期待している。

 

『鏡の中の物理学』講談社学術文庫 朝永振一郎(著)

 

(※1)『自然界における左と右』紀伊国屋書店 マーチン・ガードナー(著)

この本は400P超の本だが、私にとっては難解で今もって冒頭の設問のページ(4P目)に留まっている。松岡正剛氏も千夜千冊で紹介している。

0083夜 『自然界における左と右』 マーティン・ガードナー − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)


(※2)ニュートン力学的に言えば、サイコロの形状と、降る力、落下した地面の形状で、何が出るかは決まってしまうので、ここでのサイコロは「神のサイコロ」と読み替えてください(苦笑)。。

 

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漂泊する避難民・上陸する探索人(5)最終章

 これまで、

・呉の滅亡による、王族・貴族の海への脱出

・越の滅亡による越の民(かつての呉の民も含む)の海への脱出、海岸沿いの北上

・徐福一団の2度にわたる出航の様子と彼らのその後を探訪してきた。

 

 さらに、邪馬台国の時代である3世紀までの経緯も含めて、以下まとめることで、最終章としたい。

 

 【北部九州の勢力図】

 呉の王族・貴族集団がいち早く、博多湾周辺に奴国をつくり、稲作を始めた。クニとしての勢力を確固たるものとし、漢王から漢奴倭国王の金印を授けられるほどになった。

 また、その周辺には後着の越の民や縄文人、そして佐賀平野に上陸して勢力を伸ばしてきた徐福グループのクニが乱立して争いをしている状況となっている。

 一方、朝鮮半島には海岸沿いに遷ってきた越の民が拠点を持ち、同じく倭人と呼ばれていた。

 そんな混沌とした状況の中で、3世紀の中ごろに徐福の末裔のグループが主導権を持ち、周辺国と邪馬台国連合を結成し、卑弥呼を共立した。

 

 【南九州の勢力図】

 太伯の末裔(呉人)が辿りつき、隼人と言われる集団となっていた。

 徐福グループがその後、笠沙の岬に上陸したが、その地を通り抜け日向の地を拠点とした。隼人一族とは姻戚関係となっている。佐賀平野に上陸した徐福グループとは連絡を取り合っており、邪馬台国連合の一員となった。投馬国である。

 宮崎県の檍(あおき)遺跡は弥生時代前期の墓地遺跡であるが、出土する土器は板付式土器との類似性がみられ、北部九州との交流があったと推測できる。

 

 【中部九州の勢力図】

 今の熊本県周辺では、邪馬台国と争った、狗奴国(熊襲)が拠点を持っていた。

 狗奴国の勢力範囲は、免田式土器の出土の分布とほぼ同じ地域ではないかと推察するが、この勢力の出自について定説がない。

 

 免田式土器の分布図(松田度氏作成)

 

 また、北部九州のクニとの争いの痕跡では鉄器の利用がみられることから、製鉄のノウハウを持つ集団が熊本平野に漂泊したのではないか。2002年の調査によると、鉄器の出土数は、熊本(1890)、福岡(1740)、鳥取(1000以上)と国内最多である。(奈良は多く見ても13点くらいと少ない)

 あくまで仮説の1つであるが、製鉄のノウハウという点では、出雲・高志、狗邪韓国とも通じており、越の民の末裔が大陸ぞいに狗邪韓国に製鉄技術ももたらし、また海を漂泊して出雲・高志、そして狗奴国にもたらしたのではなかろうか。

 狗奴国(熊襲)もまた、越の民の末裔なのかもしれない。

 

「川越哲志氏 弥生時代鉄器総覧 2000年」

 

 この章で一旦、「漂泊する避難民・上陸する探索人」に関しては一区切りとさせていただきたい。アウトプットするには、その何倍もの時間をかけたインプットと熟成が必要であることを実感している。

 このテーマに関しては、当面の間、インプットと熟成に励みたい。

 

(参考文献)

魏志倭人伝の謎を解く』渡邉義浩 中公新書

邪馬台国の全解決』孫英健 言視舎

ヤマト王権の古代史学』坂靖 新泉社

『考古学から見た邪馬台国大和説』関川尚功 梓書院

『日本古代史を科学する』中田力 PHP新書

『幻の邪馬台国宮崎康平 講談社

倭国伝』藤堂明保 他 講談社学術文庫

邪馬台国 清張通史(1)』松本清張 講談社文庫

『古代日本国成立の物語』小嶋浩毅

 

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漂泊する避難民・上陸する探索人(4)

「漂泊する避難民・上陸する探索人」と題して進めてきた。

・紀元前473年 呉の滅亡 

・紀元前334年 越の滅亡 

と、ここまでは「漂泊する避難民」として論じてきた。

いよいよ、今回から

・紀元前219年 徐福の出航

となり、「上陸する探索人」となる。

 

(徐福の出航)

 徐福が不老不死の薬を求めて出航したことは、中国で最も古い歴史書である『史記』に記されている。

「斉の人、徐市(徐福)ら上書して言う。『海中に三神山あり。名づけて蓬莱・方丈・瀛洲といい、仙人これに居る。請う。斎戒(さいかい=身を清めること)し、童男女とこれを求むることを得ん、と。是に於いて始皇は徐市を遣わし、童男女数千人を発し、海に入りて仙人を求めしむ。」(紀元前219年)

「始皇・・・乃ち大いに怒りて曰く、・・・徐市ら費やすこと、百万を以て計うるも、終に薬を得ずと。」(紀元前212年)

「・・・方士徐市ら海に入りて新薬を求むるも数歳得ず、費え多くして咎められんことを恐る。乃ち計りて曰く、蓬莱の薬は得べし。然れども常に大鮫魚の苦しむる所とな為り、故に願わくば善く射るものを請いてともに興に俱にし、見れば則ち連弩(れんど=大弓矢)を以て之を射んと。』(紀元前210年)

 

 要約すると方士である徐市(徐福)は紀元前210年に、若い男女数千人とともに蓬莱(日本)に向けて出発したが、9年後に国に戻り、自ら始皇帝に釈明し、今度は最新武器の連弩を装備してまた出国した。ここで方士とは、中国古代の神仙思想の元での方術(占い,医術,錬金術など)を行なった人のことである。

 以上の事件が中国の正史『史記』に記されている。また同様の記述が、『漢書』『三国志』にもその記述がある。

しかし、中国でも日本でも歴史の虚構であるとされ、学問上は放置されてきた。しかし、1982年一人の中国人学者が偶然「徐福村」(現在の中国江蘇州かん楡県徐阜村)を発見したことにより、俄然信憑性を帯びてきた。

 中国の正史に記載されている点では、『魏志倭人伝』の邪馬台国と同じである。日本でも徐福伝説が各地に存在する。当方も実地踏査でいくつかの地を探索した。明確に虚構であるとの反証が出ない限りは、事実と仮定し論を進めていいのではないかと思う。素人探訪家の特権としてお許し願いたい。

 

 以下は、いき一郎著『徐福集団渡来と古代日本』からの転載だが、日本と中国の徐福伝承地である。若い男女数千人を連れて出航である、当然何十槽の船団であっただろう。嵐にでも会えば、塵々になり、中国沿岸・日本列島各地に難破し上陸したことであろう。それぞれのグループの判断で、その周辺を生活の拠点として留まるなり、さらに蓬莱山を目指して進んだりしたのだろう。その結果として中国沿岸・日本列島各地に徐福の伝承があるのは納得である。伝承地と古代日本の出来事を突合することで古代史の探訪を続けよう。

徐福伝承地(中国・日本)

いき一郎著『徐福集団渡来と古代日本』より転載

 

佐賀平野への上陸)

 ①②③(佐賀県)④⑤(福岡県)の伝承地を考えると、徐福一団は佐賀平野に上陸したと思われる。先行する呉の一族、越の一族、先住の縄文人らが混沌とする状態でクニを作り覇権争いをしたのだろう。

 吉野ヶ里遺跡はまさに①~⑤の徐福伝承地の中心に位置している。そこでの特徴ある甕棺墓は、徐福の佐賀上陸グループが神仙思想の壺をイメージしながら独自に発展させた埋葬方法ではなかろうか。

 その後、博多湾に進出し、先行する呉の一族が拠点とする奴国らと連合して邪馬台国を形成した。甕棺墓の分布がその勢力の伸長範囲を表していると思われる。

 

図4-1九州における大形甕棺分布図Ⅲ期/図4-2北部九州における大型甕棺分布図 Ⅲ期

(藤尾 慎一郎氏作成)

 

(南九州への上陸)

 ⑥(鹿児島県串木野市)⑦(鹿児島県坊津市)への上陸は注目したい。坊津市とあるが坊津町の間違いで、2005年に加世田市・大浦町・笠沙町金峰町と合併して、現在は南さつま市となっている。

 ここで古代史ファンの多くがピンと来るのではないだろうか。笠沙の岬とは、古事記日本書紀によれば、まさに天孫降臨のための寄港地ではないか。

 笠沙の岬に上陸した瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は、そこで木花開耶姫(このはなさくやひめ)と出会い、その後日向の日で日向三代を営むことなる。

 これまで、こんな田舎、文化的な後進地方で(鹿児島県の方すみません。)、麗しき美人に出会えるのかと疑問であったが、この地に太伯を祖とする呉の王族・貴族の一団が漂泊していたとすると納得がいく。

 また、同じく古事記日本書紀にある、海彦・山彦の神話は、海彦が呉の集団の末裔、山彦が徐福集団の末裔を比喩しているとすると納得がいく。後者が日向の国の主導権をとったということだろう。

 

 いよいよ、次回が「漂泊する避難民・上陸する探索人」シリーズ最終章の予定です。お待ちください。

 

(参考文献)

『徐福集団渡来と古代日本』いき一郎中

魏志倭人伝の謎を解く』渡邉義浩 中公新書

邪馬台国の全解決』孫英健 言視舎

ヤマト王権の古代史学』坂靖 新泉社

『考古学から見た邪馬台国大和説』関川尚功 梓書院

『日本古代史を科学する』中田力 PHP新書

『幻の邪馬台国宮崎康平 講談社

倭国伝』藤堂明保 他 講談社学術文庫

邪馬台国 清張通史(1)』松本清張 講談社文庫

『古代日本国成立の物語』小嶋浩毅

 

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